「高尾山さる園・野草園」で幻の花「ムラサキ」復活プロジェクトを始めます

当社は1927(昭和2)年ケーブルカーの営業を始めましたが、その開業直後の読売新聞の記事には「(大正天皇墓が近くにできて)一躍全日本的になった霊峰高尾山・・・都会生活者の慰安、保健の糧となる・・・其処に生育する草木の種の属、類の多きは稀に見るもので・・・『江戸紫』の名によって床しい追憶を醸す武蔵野の名草「むらさき」が現に生育している・・・」と掲載されていました。

一方現在の高尾山では自生する「ムラサキ」を見ることが出来ず、「高尾山さる園・野草園」開業50周年の今年、ぜひ、「野草園」に「ムラサキ」を咲かせたいという思いで、社員一同検討を始めました。

そこで、いろいろ調べていくと、全国のいくつかの自治体、団体で「ムラサキ」の復活活動をしていることがわかり、当社に近い、東京都檜原村で10年来の活動をされている方がいらっしゃることがわかりました。その名も「ひのはらムラサキプロジェクト」。1957年、近くの山で自生が確認されて「檜原在来ムラサキ」を、市民活動団体「東京ひのはら地域協議会」が10年前から栽培を開始し、昨年上記プロジェクトとしてボランティアも加え本格的に活動をされています。

 

今回、「ひのはらムラサキプロジェクト」事務局の丸山様、当園アドバイザーの日本植物友の会顧問、菱山忠三郎先生にご指導、ご協力をいただき野草園内に植栽を実施いたしました。

「むらさき」は発芽率が低くウイルスなどに弱いため、株を増やすのは困難とされていますが、野草園設立の意義である、かつて高尾山近郊で見ることのできた山野草の保護育成のために、また来園されたお客様に山野草を身近に感じ観察していただけるように努力してまいります。

私たちにとっても多くの校歌に歌われている身近な存在であるこの『ムラサキ』、その復活にむけて、一歩進み始めました。

ご参考までに

江戸時代、「ムラサキ」の染料を使った「江戸紫」は流行しますが、明治以降合成染料の普及で栽培されなくなり一気に減少し、現在では絶滅危惧種IB類になっています。

 

万葉集に大海人皇子から兄中大兄皇子の妻額田王に宛てた「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひやめも」という歌があります。関係はさておいて、『紫のにほへる』(紫草のように色美しい)とうたわれた『ムラサキ』(漢字では「紫草」と書かれることが多い)は、紫色の染料の原料として広く栽培されました。